Diary(日記)

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2005年2月27日

今日も交通量調査

今日も、朝と夕方の2時間ずつ交通量調査を行う。

昨日に比べて、午前中の交通量はあまり変わらなかったが、
夕方は増加し、カインズ→しまむら 方面は1時間あたり
140台前後の車両が通過。

速度のほうは、昨日に比べて早い車は減少。
それもそのはず。写真を見てもらえばわかるが、車のすれ違いが
発生して速度が出せないからである。決して、速度規制の
必要がないとか、対応の必要がないというわけではなく、
交通量が少ないときにはおおむね30キロ超で走る車が多く、
何らかの対策が必要な状況であると受け止めている。

また、今日は、午前中の交通量調査後、ベンチ作成を行う。
とはいうものの、丸太に対して色々な処理が必要なため、
丸太の運び出し作業が中心であった。ベンチの写真も、
完成を期に、作成風景などを掲載する予定である。





2005年2月26日

交通量調査

朝8時より、町内で交通量調査。
カインズホームの開店以来、公達町内の交通量が増えたことや
ニトリのオープンもあり、町内の交通状態の把握が必要と
街づくり委員会で決定したことを受けての実施。検討の結果、
朝、パチンコ店へ向かう車が多くなりそうな朝8時から10時、
カインズホームへの買い物客の多くなりそうな、夕方の4時から
6時を調査時間とし、街づくり委員会6名が調査に参加。
私も参加させていただいた。

今回は交通量調査と合わせて、走行車両の速度計測も実施。
定点を決め、その区間内の走行にかかった時間を計測し、
車両の速度を計算する、といった方法で実施した。

明日も実施の予定であり、最終的な結果はまだ出ていないが、
朝は1時間あたり50台、夕方は1時間あたり80台にも
のぼり、速度も時速30キロ以上の車両が多数であった。

今後、関係各所への働きかけを行ううえで貴重な基礎データが
収拾できたと考えている。寒い中、調査に参加された皆さん、
お疲れ様でした。明日も宜しくお願いいたします。





2005年2月25日

報告書と通告書

午前中、会派代表の前場議員さん宅を訪問。
先日の会派研修会の報告書について確認をもらいにいった。
2点ほど加筆が必要な部分などを確認して、一度帰宅。

加筆部分を修正し、午後から議会事務局で提出。
そのついでに、一般質問通告書の提出もすませた。
実は、内容について1点加えるかどうか悩んでいた部分もあり、
今日通告をするかどうか迷っていたのだが、勢いで提出。
まあ、何はともあれ、内容も決まったし、あとはしっかりと
下調べをして取り組むのみである。

議会事務局の帰りに図書館へ立ち寄る。
早速一般質問の下調べと思い、図書館で地方財政、企業会計、
バランスシートについて書かれた書籍をピックアップ。
合計4冊を借りてきた。

今回の議会は予算書のチェックもありいつもの議会に比べて
やることも多い。借りてきた本もどこまで目を通せるか、
時間が取れるか不安であるが、なんとかこなしたい。

それにしても、企業会計は難しい・・・。




2005年2月24日

確定申告

午後、下館税務署で確定申告書を提出。
昨年は、下館の合同庁舎内の会場で済ませたのだが、今年は、
個人事業分の青色申告も行うため、細かい事を聞ければと思い、
本家本元の税務署へ行ってきた。

昨年から国税庁のホームページで確定申告書などの自動作成が
できるようになったため、それを使って作成している。
毎年微妙に変わる税制や用紙の変更があっても、数値を入力して
いけば最終的な還付金額まで全て自動で出してくれる。

個人事業の申告についても、節税の意味でできるだけ控除を
したいとおもい、素人には難しいのを覚悟で青色申告の
複式簿記での帳簿作成に取り組んでみた。経理の本を3冊ほど
読みあさり、また、安価な会計ソフトを手に入れて、領収書と
にらめっこしながら帳簿をつけて、なんとかそれらしいものが
出来上がった。

こういったソフトや、申告書の自動作成ページのお陰で、
この時期の税理士さんや税務署の方の仕事ははるかに軽減される
だろう。実際、書類を持っていったら、源泉徴収書や保険の
払込明細書との数値の確認程度。ものの5分で受理されて
しまった・・・。

ちなみに、私の個人事業は議員活動の合間にやっているので、
年間の収入額は微々たるもの。身構えて青色申告でやるほどの
規模ではないが、税金の仕組みの基本的な部分を勉強する上で
なにか役に立つだろうと考え、あえてやっている部分もある。

つくづく学生時代に、広く勉強しておけばよかったと思う。
当時はコンピュータ技術者になることしか頭に無く、文科系や、
経済に関する勉強は単位を落とさない程度にやっていた。
こっちの世界に入るとは、まったく考えていなかった…。




2005年2月23日

今日もボランティア

なかなか忙しい中で、2日もボランティアに顔を出せる日は
私にとっても貴重である。今日は城南コミュニティーセンター
での地域コミュニティーに参加。

今日は大所帯で、ボランティア、対象者の総勢で30名の参加。
しかしながら、環境衛生推進委員の会合も同じ時刻に開かれた
ために、途中までは多少会場が手狭に…。

いまは社会福祉協議会が主催でおこなっているこの事業も、
そう遠くない未来に、各町内会で実施される時期が来るのではと
考えている。町内会や老人会が主催で、各町内会の公民館で
お茶のみをしたり、テレビを見たりと。肩肘はっておこなうもの
ではなく、ちょっと集まって談笑する、そんなレベルで十分で
あるとおもう。そして市としても、各町内に小額ながら補助を
だしていく。トータル的には費用も人員も削減できると思う。

そんな時を考えながら、参加させていただいた。




2005年2月22日

地域コミュニティー

午前中、社協主催の地域コミュニティーに手伝いで参加。

これは介護保険非対象者でお一人暮らしのお年寄りの、
コミュニケーションの場として市内各地で開催されている
もので、非常に人気が高く、順番待ちの状態であるとの事。

昨今の財政難で、当該事業に当てる予算が減少しているが、
その一方で来年度より回数を増やしたいとの意向があるとの事。
これは、人気が高く希望している皆さんにできるだけ参加できる
ようにしたいということと、昨今叫ばれている健康増進の
関係もあるのだろうと、私自身は理解している。

議員として、そういう事業に予算がつくように強く支援をしたい
と思う一方、市全体の数値を見たとき、一事業ばかりに肩入れの
できないという苦しい立場もある。そういう意味で、私個人の
行動で少しでも事業が推進できればと思い、手伝いという形で
参加をさせていただいている。

結城市でも、来年度より(仮称)健康増進課なるセクションが
設置され、お年寄りに健康になってもらい、医療費や介護に
かかるお金の圧縮に努めようという動きが出ている。

私自身は、久しぶりに折り紙を楽しむよい機会だった。
自分の不器用さがしみじみわかった。




2005年2月20日

七七日

9時からシルクカップロードレースの開会式があったのだが、
私事により欠席をさせていただいた。

大輪寺で、祖母の七七日法要と納骨をとりおこなわさせて
いただいた。1月13日に祖母が他界して以来、告別式やら
なにかと忙しく、また、先週、先々週と研修で結城を離れる
機会が多かったが、とりあえずひと段落…。

今まで、人の死というものを考えたことが無かったわけでは
ないが、今回、身内の死という場面に直目して、その重みという
ものをしみじみと感じた。言葉でうまく言い表せないが、
人が死ぬということが、いかに大きなことか、あらためて
身にしみたというのが直感である。

また、自分のことばかりであるが、立川の家族が減ってしまった
ことに、なんか寂しさを感じた。嫁さんもらって、子供がほしい
なあと、ふっと思った。

今日は議員とまったく関係ない内容ばかりで申し訳ない…。




2005年2月18日

茨城市町村政策研究会 研修会

午前中、土木課を訪問。道路関係の整備方針や制度について
確認を行う。私自身もまだまだ知らない知識が多く、自分では
大丈夫かなと思っている点がたくさんあった。職員さんも
細かく説明をしてくださった。

午後は、仕事関係をバタバタとこなし、3時半に水戸へ出発。
午後6時からの茨城市町村政策研究会の研修会に参加。

今日の講師は、前大洋村長の石津正雄さん。
「新時代に求められる首長像と自治体運営」という題で、
政治家としての経験がない中で、周りからの声に押されて
町長に出馬し当選してから、国内で先陣を切って取り組んだ
健康増進に対する施策の話、これからお金のない中で、
どうやって効果のある施策を低コストで実施するか、といった
内容で話を聞かせていただき、よい勉強をさせていただいた。

また、その後の懇親会は各議員の現状報告や、選挙を控えている
議員さんの激励もおこなわれ、夜10時近くまで楽しい時間を
すごした。

今回は私も議会報告の冊子をもっていき、参加された議員さんに
配布をし、見ていただいた。そのせいもあってか、多くの方に
声をかけていただいたり、名刺交換をさせていただいた。

1期生の議員はどうしても広域議員などの役職にはつけず、
他市町村の議員さんと交流を持つためには自分から飛び出して
いかないと難しいのが現状。とくに前職が会社員である私は、
顔も狭く、議員の世界と無縁だっただけに交流を持つのは
他の方以上に難しい。縁があってこの会に入会をさせて
いただいて、本当によかったと感じている。

≪左:前 大洋村長の石津さん 右:研修風景≫






2005年2月17日

無事に帰還

おかげさまで、無事に帰還しました。
研修レポートは早々にサイトに掲載したいと思います。

やはり3日も家を空けると、用事も色々たまっている。
FAXが3件、電話が1件、メールが20件…。全てに目を
通して、必要なものに返信をしていたら遅くなってしまった。

レポート掲載も早々に着手したいが、最短でも日曜の夜からの
着手になる見込み。週末も仕事や、祖母の納骨などがあり、
ちょっとバタバタしそうである。

また風邪をひかないように注意しながら乗り切りたい。




2005年2月15日

不在

会派研修のため、15・16・17日と不在です。

日記の更新も、17日夜になるかと思いますので、

ご容赦ください。

ただいま時刻は午前3時半・・・。4時半集合で出発のため、

早起きしています。




2005年2月14日

個人情報の漏洩

このところ、また変な電話がよくかかってくるようになった。
アパレルメーカーの営業の電話であったが、非常識な時間帯での
電話であるので、いつも名簿のでどこを聞いている。

私 「うちの電話番号どこで知ったんですかー?」

先方「東京の名簿売っているところで買ったんですよー!」

私 「なんて名前の名簿やさんですかー?」

先方「私もよくしらないんですぅー」

私 「じゃあ、次はその辺よく勉強してから電話してねー」


って言って電話を切った。この前は、私が市議会議員をやって
いて、議会で個人情報漏洩が問題になっているので名簿入手の
事情を詳しく聞かせてほしいといったところ、あわてて電話を
きられてしまった・・・。

いずれにせよ、正規なルートで入手をしていないのは明らか。
個人情報漏洩という言葉がよく聞かれるようになった。
インターネットを経由しての漏洩もあれば、とある会社の社員が
退社後、飲みに行って名簿の入ったカバンごとなくしたという
お粗末なものまで多岐にわたっている。

各人が気をつけるのはもとより、個人情報を多く扱う人たちの
モラルそのものをあげていかねばならない・・・。




2005年2月13日

会報くばり

午後から、とある団地で後援会報のポスティング。
2年前の後援会の立ち上げの際に、お願いにあがった地域に
定期的にポスティングを続けている。

議員は、いわゆる選挙のときにしか顔を見せないとか、
選挙と選挙の間は音沙汰無しでなにをやっているかわからない。
というのが、通説となってしまっているのが現状である。
もちろん、どの議員も活動をしていないわけではなく、
議員に近いところにいる人は、各議員がどんな活動をしているか
見えるのであるが、少し離れてしまうと見えないと言われる。

少しでもそれを打破したい・・・。その思いで、ポスティングを
実施したり、駅での配布を実施したりしている。
パフォーマンスだといわれればそれまでだが、顔を見せて、
いろいろな人から意見を頂くのが私の仕事。多くの人と接する
機会を作っていかねばならない。




2005年2月12日

毎日更新の意味

終日、議会だより編集委員会の研修レポートをホームページに
掲載するためにパソコンに向かう。そのかいもあって、
午後1番くらいにはホームページの修正を終えて、レポートを
掲載できた。夕方からはパソコンのレクチャーに出かける。

先日、とあるところで、こんな話があった。
その方の知り合いの議員さんがホームページをもったのだが、
年に4回の議会のときしか更新しなかったので、更新と更新の
間に何も活動をしていないと思われ、お叱りをうけたとか・・・。

確かに定例会の内容だけを掲載していては誤解される可能性が
十分にある。その方は私はどうしているのかたずねて来たので、
活動日記を2日に1度は更新していることや、ちょっとした
研修や行事に参加したことも写真を添えて活動報告として
掲載していることをお話した。

「ホームページ」という流行にのって、サイトを持った方は
大勢いるが、更新しなければ徐々に見てもらえなくなるのは
あきらかである。美的センスのない私の殺風景なサイトに比べ、
すばらしいデザインで作られたサイトを持っている議員さんは
全国にたくさんおられる。

が、お店と同じで、目新し物が無ければ、リピーターは獲得
できない。すばらしいデザインであっても、内容が同じであれば
見に来る方は減っていく・・・。残念なことに、いつ見ても更新
されず、風化した議員サイトをあちこちでみかけている・・・。

逆に、センスのない、私の殺風景なサイトでも、日々のちょっと
した事を題材に2日に1度でも、更新しているから、毎日見に
来てくれる方がいるのだろう。

ホームページは、いうならば「砂漠に立てた看板」である。
看板を立てたことを宣伝して、看板が存在していることを
多くの人に知ってもらい、また、その内容をどんどん変化させて
定期的に見に来てもらってこそ、初めてホームページの存在する
意義があるのである。看板を立てたことに満足してはいけない。
道路わきの看板以上にホームページに要求されるものは、
レベルが高いのが昨今のインターネットの世界なのである。

肝に銘じて、日々の更新に取り組んでいきたい。




2005年2月10日

議会だより編集委員会 研修

9日・10日と議会だより編集委員会の行政視察研修。

千葉の市川市では議会だより発行の手続きとインターネットに
よる中継について。静岡の伊東市では、議会だより発行の
編集方法についてそれぞれ研修してきた。

詳細は追って「かつどうほうこく」のコーナーに掲載します。

今日は急ぎで1枚だけ写真を掲載。伊東市役所にはってあった
ものであるが、市役所とは・・・

『 「市」民のために「役」にたつ人のいる「所」です 』

という内容であった。職員さんの心構えを訴えているような、
そうならねばならないという決意があらわれているようでした。





2005年2月7日

今朝は寒かった・・・

今朝は、6時15分から結城駅北口で会報の配布。
本来であれば、3日の駅南口での配布に続いて、4日に北口で
行う予定であったが、体調整わず、今日に延期していた。
今朝も非常に寒く、かじかんだ手をこすりながらの配布。
会社員時代、6時半の電車で水戸へ通っていたころを思い出し
ながらの配布であった。いつもウォーキングをしていて、
私が駅に立つと必ず声をかけてくださる方や、郵送で会報が
届いている方からの声援も頂きながら、無事に配布を終えた。

午前中は調査事項があって市役所の都市計画課・土木課を訪問。
その帰りに何件かに立ち寄り、調査事項の連絡や用事を済ませ
帰宅。午後は予備パソコンの修理など。このホームページが
おいてあるパソコンはもう2年半ほど稼動しっぱなし。安定して
動いているものの、いつ壊れてもいいように予備機を準備する
ことにした。幸い、先日新規にパソコンを購入した方から、
不要になったパソコンをもらい受けていたので、部品を交換し
近日中に予備機として使えるようにする予定。

今の私には無くてはならない道具である。
再利用しながら無駄なく、大切に使っていきたい。

≪写真:早朝の結城駅南口≫





2005年2月6日

何やっているかわからない?

昨日、とある方からこんな連絡があった。
その方が、私を応援してくれるように頼んだのだが、当選後、
私がいったいどんな活動をしているか、さっぱりわからないと
話されていたそうで、会報を送ってほしいと。

私自身は、毎回の議会終了後に後援会の方に会報を送っている
ことで、十分伝わっていると認識していたが、それはあくまで
後援会の方に対してだけであって、全市につたわっているかと
いうと、まだまだなのである。当たり前といえばそうなのだが、
今回のように、後援会の名簿に無くても応援してくれた人には
会報をお届けできていないし、ましてや記名投票でもないので、
だれが応援してくれたかを100%を把握することは困難。

だからこそ、だれにでも伝わるような活動、情報発信をして
いかなければならないことを痛感した。後援会報にかぎらず、
うまく皆さんの目に留まり、皆さんと私とが、何らかの形で
接点をもてる方法を考えていかなければならない。

今回の件については、明日にでも直接会報をお届けにうかがう
予定である。




2005年2月4日

収支報告提出

朝10時半に茨城県庁・選挙管理委員会へ。
後援会の収支報告書の提出に。後援会を資金管理団体に指定して
あり、年1回の収支報告書提出が義務付けられている。
ちなみに今年の支出は89万円ほど。例年、後援会報の作成、
郵送で30万円強かかるのに加えて、今年は印刷機を新規に
購入したため、出費がかさんでいる。後援会の収支報告に
ついては、次号の公園会報に掲載予定であるし、近日中に
ホームページに掲載するつもりである。

その後、茨城県民文化センターで福祉コミュニティー推進の
つどいに出席。これは、災害につよい街をつくっていくには
近所のコミュニケーションが大切という趣旨での開催。
江戸時代は長屋がそのままコミュニケーションの場として形成
されていたが、現代はそれがおろそかになりつつあり、
それを復活させる必要がある、ボランティアと地域の密着性を
連携させようというものである。話を聞いてみて、その重要性が
よくわかり、必要性を感じるものであった。

公達でも、街づくり委員会が発足し、集会所を町内の防災拠点と
して作っていきたいとの考えも盛り込みながら、コンセプトを
つくっている。町内会レベルでの防災のあり方を考える時期に
きているのだろう・・・。

≪左:茨城県庁≫
≪右上:収支報告書の受領印 右中・下:福祉イベントの様子≫






2005年2月3日

駅での会報配布

早朝、駅での会報配布。

予定がずれたり、体調を崩したりでなかなか実施できなかったが
ようやく配布にこぎつけた。高校3年生が自由登校にはいった
せいだろうか、幾分人が少なく、それに比例してか、配布した
部数もいつもより若干の減。

しかしながら、電車までの少しの間に声をかけてくれる人や、
私が寒そうに配布しているのを見かねて、熱いお茶を差し入れて
下さる方もおられ、体は冷え切っていたが、気持ちはあたたかい
ものを感じることができた。励ましや意見をいただきながら
また明日への活力にしたい。ちなみに明日は駅北口での配布。

午後からはボランティア団体のふれあい電話の定例会に参加。
福祉に関しても、役所側の視点と、対象となる方々の意見と、
間に立ってボランティアとして活動する方の意見が、それぞれ
異なり、私としては非常に勉強になっている。ともすると、
実施する側、される側の一方になりがちであるが、両者を
理解して初めて真の企画が組めると思っている。

今日は節分。私も昨年同様まるかぶりを行ってみた。
方角はともかく、おいしかった・・・。

≪ 左:午前6時の結城駅南口 右:まるかぶり中の立川博敏 ≫






2005年2月1日

もう2月

早いもので、もう年があけて1ヶ月が過ぎた・・・。

お葬式などがあって、予定が大幅にずれてしまったものの、
後援会報の発行はなんとか終了した。しかしながら、町内の
一部の班にはまだ配布ができていない。また、駅での配布も
体調を崩したことから延期している。一応、3日、4日の
2日間を予定している。

2月は研修も2回あり、また、後援会収支報告書の提出のため、
茨城県庁へも行かねばならない。更に、個人的な話ではあるが、
個人事業の収支報告と青色申告などもしなければならない。

そんな中で、今日は私が所属させて頂いているボランティアの
団体の総会。会計報告や活動報告がなされ、また、今年度の
活動計画なども決定された。私は所要があったので、自分の
担当するグループの計画があらかたまとまった段階で退席を
させていただいた。いつも、自分の空いている時間で、月に
1回ないし2回程度しか活動に参加できず、皆さんにはご迷惑を
かけてしまっているが、現場を見て勉強したいとの考えで
参加をさせていただいている。そんな私を快く活動に参加させて
くださっている皆さんには、只々感謝をするばかり・・・。

これからも宜しくお願いします。