Diary(日記)

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2005年1月30日

風邪が直らない・・・

風邪が直らない。

しっかり休めばよいのだが、予定が立て込んでいたりと
何かと忙しい。また、仕事のほうもちょこちょこと入ったりと
睡眠不足にもなりがちであった。

29日に行われた女性議会の傍聴にもいったのだが、傍聴席で
うとうとしてしまうという失態。30日も新年会2件に出席を
したのだが、帰宅後、夜半過ぎに戻してしまったり、下痢にも
みまわれたりと、どれも体調不良からくることばかり・・・。

風邪のせいにしているものの、結局は自分の不注意からおきた
ものばかりであり、只々、反省をするばかりである。

崩れたペースの中で、遅れた仕事などを取り戻そうと
無理をしたのも原因かもしれない。体調管理や、計画性の
無さを実感した。早くペースを取り戻し、立て直したい。





2005年1月28日

世論のわからないNHK

昨今、NHKの不祥事が世間を騒がせている。

国民からの多くの批判を受けて、会長が辞任したと思ったら、
今度は顧問に就任するという、あきれ返る人事を行った・・・。
ふざけてやっているのかなと思ってみていたのだが、更なる
批判を受けて、その人事を撤回したのだから、当初は本気で
その人事を行っていたのだろう・・・。

しかも、撤回の記者会見で質問された内容に対して、
「多少の批判はあるとおもったが、まさかこんなに多いとは・・・」
というコメントをしているのだから、怒りを通り越して
あきれかえってしまう。批判はあるものの、通ると思っていた
NHKにはある意味脱帽といったカンジである。

NHK自身も、その記者会見の様子をニュースで流しているが
キャスターのコメントは無し。他の事件にはコメントしているの
だから、NHKのこのあきれた人事に対してもコメントして
ほしいものである・・・。

公職につく私がこんなことをいうのは、本来は不謹慎であるが、
ああいうあきれた人事を平然とおこなうNHKに、受信料を
払いたくないというのが本音である。






2005年1月27日

ペースも戻りつつ・・・

祖母の告別式以来、たまっていた仕事や、後援会報の作成、
発送などが片付き、ようやくほっと一息つけるような
状況になってきた。

が、気のゆるみからか風邪をひいてしまったようだ・・・。
そのため、木曜、金曜と駅で早朝に会報配布を予定していたが
ひとまず延期。無理をして、体調を崩して、また諸々の予定を
崩してしまっても・・・との判断から。

駅での配布は、基本的に平日に実施しているので、来週の月曜、
火曜あたりには実施したいと思う。




2005年1月24日

会報の発送

午後から郵便局で後援会報の発送。

普通郵便とは異なり、量も多いので、郵便局の奥のトラックが
荷物を搬入する場所から発送物を渡した後に、窓口で料金を
支払う。くじつきの年賀状の引き換えのお客さんも多く、
郵便の窓口は非常に混雑していた。

そこで目にしたのが、局長さん自らお客さん対応をしている姿。
窓口だけではさばききれないので、その横で第3の窓口で
あるかのようにお客さんの要望を聞き、職員さんに指示を
出していた。

公共、民間にかかわらず、まずお客さんをできるだけ待たせない
サービスを率先して実施している局長さんの姿を心底すばらしい
と思いながら帰路についた・・・。

駅での配布は、今度の27日・28日を予定している。
姿を見かけたら、気軽に声をかけていただければと思っている。




2005年1月23日

交流

いつも、いろいろな場面で皆さんに声をかけていただける事に
本当に感謝しながら、毎日活動をしている。

とある席で、お一人暮らしの方々と食事をする機会があったの
だが、「声をかけやすい議員さんが近くにいてありがたい」と
おっしゃっていた方がいた。気軽に声をかけていただける存在に
なりたいと常々思っていただけに、非常にうれしかった。
そういった一つ一つの声に答えられるようになりたいと思う。
そのためにも、できるだけ色々な場所で、皆さんと話をする
機会を作っていきたいと考えている。

また、後援会の皆さんも、私が外で活動をしている間に、
たくさんの仕事を手伝ってくださることにも感謝をしている。
毎回発行する後援会報。印刷、宛名書き、綴じ込み、封筒への
袋詰め、糊付けなどの作業をいつも手伝っていただいている。
しかも、本人は行事やら何やらで不在で、作業に参加できない
ことがほとんどであるにもかかわらず・・・。ここ数回の会報の
作成でも、私が参加したのはほんの少し。ほとんどの作業を
家の人や後援会の方が進めてくださっている。毎回、何もしない
のに、発送準備が着々と進んでいくことに恐縮しているが、
そういった内外の方々に支えていただけることを感謝し、日々、
しっかりと活動をしていきたい。

【写真:月曜発送予定の後援会報】





2005年1月21日

全員協議会

10時より市役所議場にて全員協議会。

皆さんもご存知かと思うが、結城紬の認定に関するコメントが
文化庁から発表されたと新聞に掲載された。その件に関する
報告が執行部からなされた。内容については新聞掲載のとおりで
3要素を満たすことが改めて確認されたとのこと。今後は、
公正取引委員会の判断を見てから対応していくなどの話も
あった。

多方面のコメントから判断するに、お互いの「いいだろう」と
いった考えからの、ボタンの掛け違いのような気がする。
だれかが踏みとどまって、今回問題となった技法についても
文化庁に申請するなどの措置が取れなかったものか・・・。

重要無形文化財として残していくことは当然のことで、産業と
しても残していくためには、今回の件はもちろん、若い織り手の
確保や、よく言われている販売価格と卸価格の格差の問題など
手をつけなければならないところが多々あり、業界全体の
抜本的な改革の必要性を感じている。

午後、帰宅すると、後援会報の作成作業に。
今日もお手伝いの方が来てくださり、3時前には終了。
明日、封筒につめて糊付けすれば作業完了。
いつもながら、後援会の皆さんのご協力には感謝しています。




2005年1月20日

後援会報の作成

今日から活動を徐々に再開。

印刷の終わっていた後援会報の綴じ込み作業を行う。
今回はB5・6枚・12ページ構成。これを2200部作成。
後援会の方も手伝いに来てくださり、年末年始の私の活動の
状況など、雑談を交えながらの作業。皆さんのお力添えも
あって、綴じ込み作業も無事終了。

明日は引き続き、冊子を封筒に入れるために折る作業。
私は10時から全員協議会があるが、家族や後援会の方が
作業を進めてくださる予定。本人が不在でも作業を進めて
いただけることを申し訳なく思うとともに、感謝をしている。

来週明けくらいには郵便局で発送手続きができる予定である。




2005年1月17日

御礼

祖母の通夜、告別式に多くの方に参列を頂きまして、
本当にありがとうございました。

昭和19年に主人(私の祖父)を戦争でなくしてから、
一人で子供2人を育て、大変な苦労があったと聞いてました。
晩年、足を骨折し、歩行困難になるものの、寝たきりにならず
車椅子で、自分のことはできるだけ自分でしていた祖母でした。

60年ぶりに、向こうで祖父と会って、楽しくやっていると
思っています。祖父にこっちの様子も話してもらおうと思い、
こっちの4人(父・母・妹・私)の写真も持っていって
もらいました。

生前から、また、通夜、告別式と、たくさんの方にお気遣いを
頂きまして、本当にありがとうございました。
あらためまして、御礼を申し上げます。

また、私事により、数日間の日記更新停止につきまして
お詫び申し上げます。




2005年1月13日

無題

 
 
1月13日 23時05分 祖母が永眠いたしました。

私事で大変申し訳ありませんが、

ひととおり、事が終了するまでの数日間、

日記の更新を停止します。

皆様のご容赦を頂きたく、宜しくお願い申し上げます。




2005年1月12日

そろそろ印刷開始

慌しい1日だった。
といっても、議員活動のほうではなく、パソコン修理が
立て続けに入ったためである。今までは、商売として取り組んで
なかったので、忙しいときには待ってもらえたが、
今は多少なりともお金を頂いているから、とりあえず最優先。

後援会報についてだが、掲載する数値の件で、データを頂いた
茨城県庁 総務部 市町村課の担当の方に掲載許可を打診していた
ものが、11日にOKとの回答を頂いたので、明日から印刷を
開始しようと思う。

といいつつ、明日もそれなりに用事が立て込んでおり、
それこそ合間をみて輪転機を稼動させることになりそう。
議員活動のみだったころに比べると、さすがに時間がうまく
取れないときもある。やはり議員は、副業を持たず専念すべし
という考えは間違ってないなと実感した。が、今は財政難。
そんな甘いことも言っていられない。ただがんばるのみである。




2005年1月10日

成人式典

10時から市民文化センターアクロスで開催された、
平成16年度成人式典に出席。ちなみに、結城市で成人を
迎えた方は全部で750人との事。そのうち会場にこられたのは
私の私見では500名弱くらいではないかと思う。

結城市の成人式は、議員になってから今回で2回目の出席。
全国的に報道された問題のある成人式のような様相は全くなく、
新成人の皆さんは会場できちんと式に臨んでいた。

実行委員さんも開催に向けて尽力されたとのこと。
また、司会の方や開会宣言、誓いの言葉を担当された方も
初々しく、これからたくさんの未来へ向かっていく様を
垣間見ることもできた。

願わくば、新成人の皆さんが、今後の結城市を担う中心と
なってほしい。




2005年1月9日

消防団出初式

朝9時半から、結城小学校校庭で開催された、平成17年
結城市消防団出初式に出席。

会場では、各分団の服装チェックや車両点検などが実施され、
続いて退団員や優良分団・団員、永年勤続団員の表彰などが
おこなわれた。その後、結城小学校の生徒さんの鼓笛パレードを
先頭に、商工会議所までパレード。最後に鬼怒川沿いの久保田
地内で放水試験を実施。

結城市では、筑西広域消防署が2ヶ所設置され、また市内の
10個の分団が連携をして消火活動などにあたっている。
産業構造の変革により、団員さんの確保が全国的な課題に
なっているとよく新聞で見かける。財政難のあおりは、消防と
いう必要不可欠な分野にも影響を与えていることは事実であるが
その中でも、支援をすべき分野であると認識をしている。





2005年1月8日

特記事項なし・・・

今日は特に何もなく、終日自宅で過ごす・・・。

去年と今年とで、出席する年始の行事の数にかわりはないのだが
去年の正月はなんだか慌しかったことを記憶している。
2回目ということで気持ちに余裕があるだけなのだろうが、
行事内容も理解しているだけに、切り回しもできるし、
他の予定も入れやすい。

残る行事は、明日の結城市消防団の出初式と、明後日の成人式。
来週からは正月ムードを一掃し、活動を開始していきたい。

まずは、後援会報を発行することからはじめたい。




2005年1月6日

会報の作成

朝から、後援会報の発送用の宛名書き作業。
両親が正月の暇な時間に少しずつ進めてくれていたので
今日の午前中で終了。

午後から後援会の方が原稿チェック結果を伝えにきて下さった。
今回は結城市の財政状況を掲載すべく、表やら説明やらを
組み込んでいるが、やはり内容が難しい。言い回しを調整したり
難しい言葉を噛み砕いた表現にするなど、もう少し原稿を
いじる必要がありそうだ。しかし、せっかく出す後援会報だから
できるだけわかりやすく、できるだけよいものを作りたいと
考えている。早くお届けしたいのはもちろんであるが、
納得いくものをお届けしたい・・・。


今日は余談を1つ。

先日のスマトラの地震は皆さんもよくご存知のことである。
ここでの話題だが、スリランカのとあるビール製造会社が、
被災者に新鮮な水を届けるために、工場の操業をすべて停止し
ラインを使ってビンに水をつめて出荷を開始したとのこと。
日本で同じような状況になったときに、そこまでできる企業が
はたしてあるかな・・・と、ふと考えてしまった。経済的には
まだまだ発展途上であるかもしれないが、人々の持っている心は
先進国以上のものがある。われわれが忘れてしまった心意気を
もっているなあと、感動したニュースだった・・・。




2005年1月5日

合同賀詞交歓会

午後3時半から、情報センター3階多目的ホールで開催された
合同賀詞交歓会に出席。これは結城市役所、農協、商工会議所の
3団体が合同で毎年行っている行事で、市内外の団体の方が
出席しており、私も市議会議員ということで招待を頂いて
出席をさせていただいた。

写真にもあるように、会場いっぱいの人で、いずれも結城市内の
各分野の中心となる方々が出席。私なんぞがいるのは場違いの
ような気もしながら、出席をさせていただいた。所要のため、
中座をしたのだが、それまで、いろいろな方と歓談をさせて
いただいた。

結城は合併をせず、単独でいくことから財政面においても、
各界各層の理解をもらわねばならない。また、結城紬の一件も
関心のある問題。いろいろな問題を抱えながらの17年の
幕開けであるだけに、注目をしながら取り組んでいきたい。

まだまだしばらくは新年行事がつづくので、飲みすぎには
注意したいと考えている。





2005年1月3日

明日は仕事初め

今日は終日自宅で後援会報の原稿作成。

正月早々、もっとぱっと遊びに出かけたり、正月らしいことを
すればよいのだが、どうも自分には合わないようだ・・・。
結局原稿作成で終日を費やし、その成果もあって原稿は完成。

発送用の封筒の印刷や、宛名書き用の名簿データの整備や
印刷など、よく考えたら、平日となんら変わり映えしない
1日であった。結局はこんなものだろう・・・。

今のペースだと1月中旬には、皆さんの手元に後援会報が
届けられる見込み。今しばらくお待ちいただきたい。

明日は仕事初め。役所でも年頭の挨拶があり、われわれ議員も
出席する。今年も万歳三唱をやるのだろうか・・・。
万歳をしているほど、いろいろな面で余裕はないはず。
今年からがんばろう三唱にしてはどうだろうかと思うのは、
私だけだろうか・・・。




2005年1月2日

高校時代の友人との再会

午後6時半から、高校時代の部活のメンバーとの飲み会に参加。
というか、私が幹事なので、私は飲まずに取りまとめに奔走。

私の代から上3年のあわせて4世代のあつまった会合は
昔話に花が咲き、終わりにするのが惜しいくらいであった。
理科部というと、当時は変わり者の集団のような雰囲気では
あったが、いまは技術系の職業についた方も多く、おたがいに
名刺を見て、活躍ぶりに驚く一面も・・・。

幹事としては、自分が企画したイベントに参加をしてくれて、
喜んでくれたことが一番よかったしほっとした・・・。
この辺は、議員活動と似ているかもしれない。自分の行動で、
少しでも多くの人の悩みを解決し、喜んでもらえる。

これが、幹事をやっていて一番よかったと思うことである。





2005年1月1日

謹賀新年

本年も、しっかりと活動をしていきたいと考えておりますので、
どうぞ宜しくお願いいたします。

大晦日は雪のため、年賀状を出しにいく以外は自宅でのんびり。
手付かずだった後援会報の原稿作成を行う。

初詣は昨年同様公達稲荷神社で(写真)
氏子さんたちがふるまってくれた甘酒をすすりながら、
皆さんに年始のご挨拶。

今年は任期の後半を迎えることから、次回の改選も視野に入れた
活動をしていきたいと考えている。だからといって、特別何かを
しようということではない。公職選挙法でも事前運動が
禁止されている。

今までどおり、後援会報を通じて情報を発信しながら必要と
される議員像を模索していくことである。

また、インターネットのメールを活用したメールマガジンでの
情報発信も始めていきたいと考えている。総務省では、選挙活動
におけるメールやホームページの位置づけについて、明確な
見解を示してないこともあり、選挙期間中のメールの活用は
むずかしいが、普段の政治活動の中での活用に関しては、
まったく問題がないだろう。

本年も、皆様のご理解とご支援を宜しくお願いします。