今日は終日、自宅で後援会報の原稿書き。
夕方から知り合いの友人のパソコンの修理に出かける。
とはいっても、基礎部分(BIOS)まで壊れてしまっているようなので、
無理に手をつけず、メーカーに修理を出すことをすすめた。
最近、ちょっとした修理を頼まれることが多い。ほとんどは部品の
交換で済むので、私の手持ちの部品で間に合わせてしまったり、
知り合いが廃棄するといって譲ってくれたマシンから取った部品で
済ませている。
思えば、私が最初にパソコンを始めた頃に比べると、ずいぶん社会的に
認知されてきた。最初にパソコンを買ったのは小学4年生のとき。
お年玉で買ったカシオのPB-100というポケットコンピュータ。
価格も1万円弱、1行12文字しか表示できないものだった。
しかしながら、価格が手ごろであったのもあり、初めて所有した
パソコンがこのPB-100である人は多いようである。
隠れたベストセラーであり、こんなすごい機械をつくった日本人の
技術力には頭が下がる。そういえば、今有名なIntelという会社で
世界初めてのチップ(ゲジゲジのすごいやつ)を設計したメンバーに
日本人が加わっていたのも有名な話である。このゲジゲジのすごいヤツの
発展したものが、皆さんの各家庭のパソコンには無くてはならない
部品なのである。当時の日本には世界相手にゲジゲジのすごいやつを
設計&開発する力があったのだ。(今、ゲジゲジの開発先進国はアメリカ)
先日、インターネットをしていて、偶然PB-100についてかかれた
サイトに出くわし、遠い昔の友人に再会したような気分だった。
オタクと言われることもあったが、まわりがファミコンをやっている時に
パソコンを使っていたことが、今になって幸いしたようであった。
今のパソコンから比べると非力であるが、今の私のルーツとも
言うべき、思い出のパソコンであり、そのパソコンと出会わなかったら、
私の議員活動にパソコンいう道具は存在しないし、このホームページも
きっと存在しなかっただろう・・・。
《 PB-100 》
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